つれづれ

〈渋沢〉で街おこし、ニッポン元気に! 
東京都北区でプロジェクト推進・越野氏と『渋沢イズムでニッポン元気復活!』著者・三橋氏が対談

2024.3.17

2024年、新一万円札の顔となる渋沢栄一が暮らし、愛した東京都北区で、渋沢を“起爆剤”に街づくりを進めている越野充博・東京商工会議所北支部会長(越野建設㈱社長)と『渋沢イズムでニッポン元気復活!』の著者、三橋規宏氏(経済・環境ジャーナリスト)が対談した。

 日本資本主義の父とされる渋沢は同区・飛鳥山に構えた邸宅で民間外交を展開、区内に多くの足跡を残している。そうしたこともあって、北区は「新一万円札発行カウントダウンプロジェクト」を展開、越野氏は同プロジェクト推進協議会会長として活躍している。また、日本経済新聞元論説副主幹の三橋氏は日本経済の「失われた30年」を憂い、渋沢イズムを生かした経済再建に期待をかける。7月3日の新一万円札発行を視野に、二人は渋沢への熱い思いを語り合う。

公民連携……シビックプライド推進の象徴として

三橋氏(右)と越野氏

越野氏 何とか北区を元気にしたいと思っていた中で、2019年、渋沢さんが新一万円札の顔になることが決まった。個人的には「論語と算盤」を勉強するなどしていたが、当時は地域と結びつける発想はまだなかった。地元に“渋沢さん”という大偉人がいたことに改めて気付いて、「大河ドラマを誘致できないか」と仲間と言ってた時にNHKからその話が来た(21年「青天を衝け」として放映)。ただ、大河ドラマで盛り上がっても、放送が終わったらしぼんでしまうのでは困る。昨年就任したやまだ加奈子区長らと「新一万円札発行カウントダウンプロジェクト」を立ち上げ、公民が連携して地域が元気になるように取り組んでいる。

 渋沢さんは北区に住み(Live)、北区を愛し(Love)、北区から世界をリード(Lead)した人。住民自身が地域の発展に貢献するシビックプライドを推進する象徴として渋沢さんをいただいた。

三橋氏 新聞社で経済記事を長年執筆してきたし、後半には経済と環境をからめた問題意識に基づいて書いてきた。渋沢さんが新一万円札の顔になることを知って、なぜなのかを調べた。渋沢さんは偉い人だったね、で終わるのではなく、渋沢さんが残した哲学は“失われた30年”で沈滞している今の日本経済に大きな役割を果たせるとの思いに至った。

 バブルが弾けた後、過剰労働力を抱えた日本企業がアメリカ型経営を取り入れたようにみえる。ところが日本企業はアメリカ型経営に染まることもなく、結局何もしなかった30年だったのではないか。渋沢イズムに新しい時代の風と光を当て、それを軸として地球の限界と折り合える新しい経済システムを構築する――日本経済を再生できる思想として渋沢さんを評価すべきだと思う。

越野氏 『渋沢イズムでニッポン元気復活!』を読んで1部(渋沢栄一とは)は知っていることもあったが、2部(発展へジャンプ)、3部(日本経済再生への提言)は目からウロコでした。我々の受けてきた教育は戦前と戦後を分けて考える印象で、(昭和6年に亡くなった)渋沢さんが戦後へも影響を及ぼしていることに思いがいたらなかった。戦後すぐに経済同友会を作った永野重雄さん(当時、日本製鐵取締役)らは(財閥解体で上がいなくなり)抜擢された戦前の中堅幹部たちで、渋沢イズムを直接受け入れていた人たちだ。そこを語らないと失われた30年の原因が分からないし、原因が分からないとこの後“栄光の30年”にはなれないだろう。労働者の問題を考えても、労働法を変えないでアメリカ型に移れるはずがない。渋沢さんが築き上げた良い仕事に着眼しないまま、アメリカ型にするのかどうか中途半端なことをしていたので全体が沈滞してしまった。自分の中でもやもやしていたものが、読ませていただいてすっきりした。

三橋氏 失われた30年は「渋沢を忘れた30年」だったのではないか。日本経済の長期低迷が続いていて、アメリカに次ぎ世界2位だったGDP(国内総生産)が昨年ドイツに抜かれ、インドにも抜かれようとしている。もう一度再生するためには渋沢イズムを復活させなくてはならない、その一つとして北区が頑張るという意識でカウントダウンプロジェクトを展開してもらえたら嬉しい。

越野氏 時代の変化にともなう新たな公民連携を目指すことが大事だ。いわゆる癒着や税金のムダ遣いにならないようコンプライアンスをきちんとして、民が自分たちの発想で公の仕事をやっていく――公民連携が、これからの30年のキーワードになっていくはずだ。地域でも、公がコンプライアンスの枠組みを作り民の力が推進していく、そんな役割分担が必要だし、それをこの北区でやっていきたい。

三橋氏 その通りです。今までは官主導の公民連携だったが、渋沢さんは逆の発想で、民がしっかりしなければならないと考えていた。渋沢さんは企業性善説の人だったが、アメリカは企業性悪説にたっていて、経営者は株主のために最大利益を出すという短期的な発想だ。日本では国家国民が求めている事業体が株式会社との発想で、ほとんどの経営者もそう思っているはず。

越野氏 地域はお互いに顔が見える。たとえば、私は地域密着の建設会社を経営していておやじが守ってきた暖簾に泥をぬれないし、自分の子どもが街を歩けなくなる仕事はできない。そういう地域に根ざした人たちが公のことに発言していけば、街は生き生きしていくはず。企業経営者だけでなく、お母さんたちが地域でどう子育てしていくのかを考え役所に求めていく、といった東京商工会議所北支部はその仲立ちをしていく役割。また、役所で何か対応したらそれをまた地域に返す手助けもする。そうしたことをここ数年、心がけている。一企業としては利益追求のために“スピード違反”の誘惑もあるが、それを踏み止まらせるのは地域コミュニティ。論語のための論語ではなくて、自己抑制を仕組みの中に取り入れるには、地域から進めていくことがすごく大事だと思う。そこで渋沢さん。私が言っても聞いてくれないけど、「渋沢さんが言っている」となると重みが違う。

経済と道徳の両立で持続可能な社会を

三橋氏 日本で最初の株式会社は、渋沢さんが明治6年につくった抄紙会社(王子製紙の前身)で、最初の株式会社が北区にできたことは大きな“売り”になるのではないか。士魂商才の意気込みで侍の意識をもち、商人の心で適正利潤をしっかりあげて持続可能にしていく。また、利他主義を強調していることも渋沢さんの特徴で、経済と道徳の両立はこれからも引き継いでいかねばならない。

 地球環境が悪化している今の時代、経済学者のシューマッハは著書『スモール・イズ・ビューティフル』で「地球環境に配慮したサスティナブルな社会を目指すことが、企業が進むべき道だ」と言っている。規模を求める経済ではなく、小さくてもしっかり技術をもつ企業が日本だけでなく世界を支えていくはずだ。

越野氏 今までのようなエネルギーの使い方を続けていけば地球の持続性が担保されないのは認識しなければならない。一方で、外国の利権がらみやスケジュールありきの脱炭素についての議論には疑問も感じる。きちっとした基礎作りをなど、できることからやる。渋沢さんの考え方は、持続可能性やSDGsにつながることが多々ある。数値的な管理ではなくて一つ一つのことをどう変えていくかが大切なことではないか。

 東京商工会議所北支部は地域エネルギーに着目して昨年12月、「北区地産地活エネルギー勉強会」を発足して地域エネルギーの活用に向けての研究に取り組んでいる。エネルギーは遠くから運んでくるのではロスも大きい。新しい技術を見越しながら進めていくことが大切だと思っている。

三橋氏 その考え方は素晴らしい。高度成長期には地域コミュニティが多く失われてきたが、1月の能登半島地震では被災した人たちが地域コミュニティを大事にしていることがうかがえた。地域コミュニティを意識した北区の皆さんの取組みに注目している。