つれづれ

『原発と教育』著者の川原さん、「原発出前授業」もうすぐ500回

2019.11.6

「原発と教育-原発と放射能をどう教えるか」(2014年刊)の著者、川原茂雄さん(札幌学院大人文学部人間科学科教授)が市民を対象に行っている「原発出前授業」が2019年10月27日で493回となり、近く500回に達する見通しだ。東京電力福島第一原発事故から8年7カ月、原発や放射能の専門家ではない川原さんがなぜこんなに出前授業を続けているのか――本人に語ってもらった。

〈生徒たちに危険伝えていなかった 分かりやすいと評判になり学校外でも〉

著書の「原発と教育」を手にする川原さん

 原子力発電の専門家ではない高校教師だった私が原発や放射能にかかわったきっかけは、初任地の高校の地元(北海道下川町)が高レベル放射性廃棄物処分地の候補地に挙がったこと。私自身反対運動にかかわり、社会科の授業でも原発と放射能について積極的に取り上げるようにしました。その後、チェルノブイリ原発事故(1986年)も起き、これについても話してきました。しかし、その後いくつかの学校を異動するうちに原発はなんとなく遠い存在となってしまっていた。

 そんな時に起きたのが2011年3月の東京電力福島第一原発事故。「原発の危険性を知っていたのに、生徒たちに伝えていなかった」との反省から、原発と放射能について分かりやすく伝え、生徒が考える授業を行いました。それを知った父母らから「先生の話はとても分かりやすいと評判。私たちにも話してほしい」と頼まれ、この年の5月から出かけて行って話すようになったのです。人数は何人でも、場所は集会所でも居酒屋でも、声がかかって時間があれば出かけて話すようになりました。

 専門家でないことから逆に、知っていることを分かりやすく、興味を持ってもらえるように話してきました。札幌学院大で教えるようになってからも月に数回は出前授業によばれています。主に原発についてですが、憲法の話や教育がテーマになることもあります。出前授業で感じたことは「こんな初歩的なことも知られていないんだ」ということ。福島原発事故から8年以上たちメディアに取り上げることが少なくなってきている中、私が続けている意味があると思います。

〈北海道ブラックアウトから1年、泊原発が動いてなくて良かった〉

 昨年9月6日未明、北海道胆振東部地震で震源に近い苫東厚真(とまとうあつま)火力発電所の発電機3基が相次いで止まったことがきっかけで、北海道電力管内全域での停電(ブラックアウト)が発生しました。その時に「泊原発が動いていればブラックアウトは起きなかった」との意見がネットに流れたが、そんなことはありません。私や反原発の仲間たちがネットできちんと反論、いまはそう思っている道民はほとんどいないはずです。北海道電力は泊原発が再稼働するまではと苫東厚真発電所を泊原発の代替としての役割に担わせていた。私たちは「一極集中はトラブルに見舞われたときに危険、もっと分散して発電すべきだ」と訴えていたが、北電はきく耳を持たず、LNG(天然ガス)発電所もつくろうとしなかった。

 万一泊原発が動いていたらもっと危険だったということ。震源地から離れて震度2程度だったのに、外部電源が一時喪失状態になった。これは福島原発事故についで2例目です。再稼働していてあの規模の地震が直撃することを考えると、ぞっとします。

〈ブラック生徒指導が横行、生徒たちはまるでカギのない牢屋に〉

 私たちの世代は戦後民主主義教育に触れた最後の世代かもしれません。高校で社会科を長く教え、今は大学で教育学を教えていますが、生徒(学生)たちが理不尽なことをおかしいと思う感覚を摘み取られている気がします。生徒たち自身が「おかしい」と思わないよう自分をコントロールしてしまう。まるで「権威に逆らうな」との〝脳内チップ〟が埋め込まれているようです。カギがかけれられていないのに牢屋から出ていこうとしない。管理主義教育がよりスマートになり、「ブラック生徒指導」が横行している現状を学校(教師)と生徒(保護者)の対立の構図にとどめるのではなく、どうしたら打破していくことができるのか。その道筋を次回出版する著書で明らかにしたいと思っています。

かわはら・しげお 1957年北海道長沼町生まれ。日本大学文理学部哲学科卒、80年道立下川商業高校社会科教諭になり、以降、道内各地の高校で教鞭をとる。2015年高校教諭を退職して札幌学院大人文学部人間科学科教授。著書は『原発と教育』のほか、『高校教師かわはら先生の原発出前授業①②③』など。