DE かいぞう 58号

       


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原発からの命の守り方―いまそこにある危険とどう向き合うか』11月4日発売!

 『原発からの命の守り方―いまそこにある危険とどう向き合うか』が、11月4日に発売になりました。それと関連して本書の著者の守田敏也さんが、不定期に出されているメールマガジン『明日に向けて』(1169号)から、「新著『原発からの命の守り方』を上梓します。ぜひお買い求めを!」と題された一文をご紹介します。

 なぜ今、本書を上梓するのか。まえがきの冒頭から引用します。

「『原発からの命の守り方』と題した本書は、原発事故の際の身の守り方と、福島原発事故(以下、福島第一原発事故と同義)で、すでに放出されてしまった放射能からの身の守り方について考察した本です。

 福島原発事故から2015年9月11日で4年半が経ちましたが、事故はいまだに収束していません。原子炉格納容器が壊れていて高濃度の汚染水が漏れ出していますが、内部は放射線値が高すぎて詳細が分からず、修復ができない状態です。もちろん、事故の詳しい進展状況も分かっていません。にもかかわらず、政府は川内原発の再稼働を強行し、さらに停止中の原発の再稼働を進めようとしています。恐ろしい軽挙です。

 この動きに対して、2014年5月に福井地方裁判所が、大飯原発3号機と4号機の運転を禁ずる判決を下しました。この判決においては「人格権」という言葉が使われました。人格権は「生命や身体、自由や名誉など個人が生活を営むなかで、他者から保護されなければならない権利」と規定されるもので、憲法13条と25条に根拠を持つものです。福井裁判所は、原発事故が起きたときの被害が、原発から半径250キロメートルに及ぶと断定し、その中に住まう原告166人の人格権の保護のために、原発の運転差し止めを命じる判決を下したのです。

 本書もまた、福井地方裁判所が示した人格権を、いかに守るのかという観点に立ちつつ、「原発事故が起こったときにどうするのか」「福島原発から飛び出した放射能に、いかに対応するのか」を検討しました。この先、万が一、原発事故に遭遇したときを考えて、あらかじめ知っておくべきことを網羅しておくとともに、すでに福島原発から飛び出してしまった放射能による被曝からの身の守り方について述べました。」(本書p12より)

 本を作るにあたっては、これまでの放射線防護活動へのさまざまな取り組みと、兵庫県篠山市での原子力災害対策への取組を通じて実践的に積み上げてきたことをベースにしました。そのためタイトルも「原発災害」だけでなく「原発」からの命の守り方としました。本文の中で強調しましたが、原子力災害対策の観点から言っても、原発の再稼働はあまりに危険であり、絶対にやめるべきものです。その点で、災害対策を網羅した本書はけして再稼働を容認するものではありません。しかし原発は稼働していなくても、燃料プールに使用済み核燃料が入っているだけで大変危険であり、私たちは原発をすべて完全に止めたあとも、廃炉を進め、安全な状態を確保するまでは常に原子力災害に備え続ける必要があるのです。

 一方で原子力災害対策は原発への是非をいったん横において進めることができる性格も持っているため、この問題に取り組み、避難のリアリティを考えることで、広範な方と原発が抱えている危険性とはどんなものかを学びあうことができます。その点でぜひ本書の内容を把握することの中から、より多くの人と原発について論じる可能性を広げていただけたらと思います。

 そうすると、これまでもいまも政府や電力会社が、原子力災害対策にきわめて消極的な理由も見えてきます。リアリティをもって備えようとすると、原発の抱える巨大な危険性が多くの人に具体的に見えてきてしまうからです。その点からも、つまりまだまだ多くの人々が実感していない「いまそこにある危険」と向き合うためにも、本書を参考にされ、ぜひさまざまなレベルでの原発災害対策に取り組んで欲しいと思います。

 主に読んでいただきたい方、読者として想定した方は一般の市民の方ですが、同時に消防署員、警察官、自衛隊員、あるいは地域の消防団の方など、いざという時に原子力災害に向かいあわねばならない可能性の高い方にも読んでいただきたいです。現に今、福島第一原発の本当の収束の為に奮闘されている方にも何らかの知恵となると思います。また原発の運転には何の責任もないのに、避難計画の策定をいきなり政府に押し付けられて四苦八苦している各地の行政の担当者の方々にも読んでいただきたいです。 

 同時に本書は災害全体に共通する事項についてもかなりのページを割いています。そもそも地球的規模での気候変動のために、風水害のあり方もこれまでの「想定」がやすやすと突破され、大災害にいたるケースが増えています。とてもではないけれども市民の側が行政に頼りきっているだけでは私たちの命を守れない。行政の側も市民の能動的な力必要としているのです。さまざまな災害への対応力を逞しくして命をまもる力を育てていくべき必然のもとに私たちは生きています。

 その意味では「原発」からだけではなく、さまざまな災害から、みなさんの命を守るために、ぜひ本書を手にとっていただきたいです。」

 著者の守田敏也さんは、岩波書店から、矢ヶ崎克馬さんとの共著ブックレット『内部被曝』を出しています。

A5判並製272頁 本体1380 円(税別)

ISBN978-4-907717-43-8

目次の内容

まえがき 

第1章 原発事故とはどのようなものか     

1- 1 2011年春の危機  

1- 2 今後、どのような事故が起こり得るか 

1- 3 原発を再稼働させないことが一番  

1- 4 実際に避難はできるのか 

     

第2章 あらゆる災害に共通する「命を守るためのポイント」がある     

2- 1 災害心理学から考える  

2- 2 避難時の行動を災害社会工学から考える  

2- 3 災害対策の見直しが問われている  

第3章 原発災害への対処法     

3- 1 原発災害を想定したシミュレーションを  

3- 2 原発の事故情報をどう見るのか  

    

第4章 放射能とは何か、放射線とは何か、被曝とは何か     

4- 1 放射能とは何か  

4- 2 被曝のメカニズム  

4- 3 内部被曝の危険性と過小評価  

第5章 放射線被曝防護の心得     

5- 1 被曝を防ぐために一その1、ヨウ素剤を飲む  

5- 2 被曝を避ける一その2、放射線をかわす、被曝を減らす  

5- 3 被曝したらどうするのか  

     

第6章 行政はいかに備えたらよいのか(兵庫県篠山市の例から)      

6- 1 原子力災害対策において地方自治体の置かれた立場  

6- 2 兵庫県篠山市の原子力災害対策への関わりを振り返って  

あとがき  


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 社説と称して掲げる私記 55

 目眩ましは、もう要らない!

                    小日向山人

 

 学徒出陣から70年の年に当たる本年、某大学のふだんは目立たない構内の一角にある記念碑には、その場に似合わない大きな花束が二束手向けられ、道行く人々の目を誘っていて、思わず頭を垂れた。当時の学徒は、70年後の今日のような反知性主義とは縁遠い少壮有為の学生たちであったことであろう。出陣学徒は、一般人と同じように一銭五厘の赤紙で召集されたが、人生経験を余分に積んだ一般の召集兵とは違い、最初の一年ほどは同じ一兵卒でも、その多くがほどなく下士官や下級将校として遇されることがあったと聞く。しかし、なにぶんにも年若く、さまざまな可能性を試みたい年代に、急に軍の幹部候補生に仕立てられ、戦場に駆り出されては、その苦悩や逡巡はいかばかりであったことか。

 現代の優秀な官僚が拙速気味に、取って付けたように作文した政策一覧を見るにつけ、当時も今と変わりなく学歴偏重の世で、とりわけ帝大出の超エリート官僚は、上司に言われるがままに机上のプランで世の中を束ねようと腐心したのでは、と類推することができる。たとえば、どうひいき目に見ても、これからは制空権を統べる者が戦争の行方を決するという頃合に、膨大な建造費をかけた隠し玉的な大艦巨砲の戦艦大和が就役するなど、実戦向きの兵器としてのリアリティがあまり感じられない。案の定、戦争末期に敵機わずか三機の攻撃によって撃沈したと言われている戦艦大和は、進水後わずか三年有余にして赫々たる戦果も残さずに海の藻屑と消えてしまった。こんな戦略上のちぐはぐさから、どう考えてみても空気の足りない軍人や官僚たちの、いわゆる頭でっかちな頭脳から生まれた策略としか思えないのだ。 

 しかし、見方を変えれば、戦艦大和は当時の国民を欺くには十分すぎる、お誂え向きのスーパー兵器だったのかもしれない。そして「大本営発表」の虚ろさと共に語られようが、戦艦大和ほど、戦意発揚のシンボル兵器になり、当時の国民への大目眩ましとなった物もないのではないだろうか。そして戦後70年の現代、当時のDNAが脈々と受け継がれていると思わざるを得ないことの一つは、原発のごとき後にも先にも危険きわまりない代物を、「核の平和利用」などという目眩ましの虚言に騙されて導入し、あろうことか4年前の福島原発事故につながっていることである。もしも、広島や長崎の原爆投下による被爆の実相を徹底的に解明していたら、核の平和利用などという他国からの甘い言葉を、被爆国として額面通りに受け入れていようはずがない。

 しかも、現在建築中の国の青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場では、毎年最大8トン(長崎型原子爆弾換算で1000発以上)に上るプルトニウムを新たに生産する予定で、核の超大国であるアメリカにさえも核拡散の危惧を抱かせている。動き出したら止まらない、融通が利かない、たこつぼ型の意志決定機関、役人のめんどうな対応を嫌う事なかれ主義、唯々諾々と長い物に巻かれろ式の事大主義、そしてこれからは、これらと共に大小のあらゆる権力機関に「悪の凡庸さ」(独・ナチスの治世下でも蔓延した一種の思考停止)がおしなべてはびこっていくのだろう。これは70年前と何も変わらないこの国の遺伝子ではないだろうか。

 ああ、目眩ましは、もう要らない! 一国のリーダーたる者の拝金主義にまみれた、うっかり信用してしまう宣伝文句(キャッチフレーズ)は要らない。同じく、国民を何度でもだまくらかす政治的詐術は要らない。マスコミ報道に搦め手から圧力を加えて恥じることがない政治家も要らない。権力者や役人が天下って甘い汁を吸う団体や法人も要らない。そして、社会にはびこるサラリーマン的保身や営利優先のモラルハザードと偽装する会社も要らない。息苦しいこの世には、惰性だけで罷り通っている、本当のところは不要なものが多いのではないか。一一以上の言に対し異論のある権力者は、まずは会計検査院に超絶の技をふるってもらって、国家的規模で「断捨離」を行い、早く国家の借金(後の世代への負の遺産)を返してからにしてほしい。

 日本のサラリーマンの5人に2人が非正規の社員だという。このような実情を反映して、とりわけ若い世代は年収が不安定で、その上、国家財政上、将来世代まで1000兆円を超える国の借金を背負わなければならなくなっている。それなのに、国政選挙時の若者の投票率は低いままに推移している。しかし、若い人ほど「うるさ型」の有権者にならなければ、この国はどこへ行くかわかったものではない。草木も楽な方へ、楽な方へとなびくものである。自分で思考停止したら、集団の中でも最も怠惰な、安易な考えの人々の意見に同調するようになり、あとはお決まりのコースを行くことになる。山人はすでに大分とうが立っている齢であるが、これまで唯の一票ではあるが、選挙権を放棄したことは一度もない。たかが一票、されど一票である。「お任せ民主主義」の行く末は、間違いなく70年前の全体主義に戻ることになることを肝に銘じたい。

     夜長とて眠らない猫を叱りつけ  山々


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